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ロアール渓谷の町と古城2005年1月22日 いよいよロアール渓谷の旅が始まります。でも最初に違和感を覚えたのは「これが渓谷なの?」です。だって広い大平原に水深の浅そうなゆったりした流れが見えるだけで、モーゼル川とかネッカー川などドイツの渓谷を見なれたPapagenoにはとても渓谷とは思えませんでした。 |
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シャンボール城 Chateau de Chambord ガイドさんの説明によればシャンボール城は、154m、x117mでロアール河畔で最大の規模だそうです。フランソア1世(例のはれぼったい二重まぶたのおじさん)の依頼によってイタリア人建築家の手になるもので要塞の恰好をしているけれど実戦を想定していないそうです(これもガイドさんのお話)お城の中庭に有名な二重の螺旋階段があって、1516年以降フランスに滞在したレオナルド・ダ・ヴィンチのデザインであると階段の入口に書いてありました。またまたガイドさんに依るとこのことは最近判明した事実だそうです。 シャンボール城が完成したのは、ルイ14世の時代の1685年だそうです。昔NHKで「レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯」というドラマを見ましたが、その舞台は大半がこのお城です。 |
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Blois(ブロア)の町並み 大雨の中をフランス中部、ロアール・エ・シェール県の県都ブロアを通過しました。人口5万2000、パリの南西約177km、ロアール川右岸のブロア城を中心に発達した城下町で、ガイドさんの説明ではこの地方の行政、商業、観光の中心だそうです。バスから雨にぬれたサン・ニコラ教会やアリュイ館など古い建物が見えました。1429年にジャンヌ・ダルクがオルレアン解放のためにこの城から出陣したのだそうです。また16世紀にはアンリー2世の妃で、 フィレンツェのメディチ家から嫁いだカトリーヌ・ド・メディシス(詳しくは後述)が権勢を振るった町だそうです。 |
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ロアール川の岸辺にある潅木には右の写真のようにヤドリギが青々と茂っています。冬のヨーロッパでは珍しく緑が濃いですね。 ドイツ南部の黒い森に住むゲルマン人(シュべービッシュ)達はこのヤドリギに不思議な生命力を感じるのか、クリスマスの飾りにこれを使います。11月の始めころから始まるヴァィナハトマルクトというクリスマス市ではヤドリギをちょうど日本の門松のような感じで売っています。元々は原始ゲルマンの宗教的な飾りだったそうです。ヤドリギは広大な平野に多いらしくPapagenoはハンガリーの大平原でよく見かけました。 |
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シュノンソー城 シュノンソー城は、フランソア1世の徴税吏トマ・ボイエが1515年から22年にかけて造営した本館に愛妾ディアンヌ・ド・ポアティエが橋を付け加え、さらに、その後カトリーヌ・ド・メディシスが橋の上に2層のギャラリーを加えて現在の姿になった、とガイドさんが言っていました。 ロワール川の支流シェール川をまたぐように築かれたルネサンス様式建築の傑作だそうです。フランソワ1世の死後、王位を継承したアンリ2世は、ディアンヌにこのお城を与え、城主としました。アンリ2世は子供の頃可愛がられた20才も年上のディアンヌが大好きで本妻の本妻カトリーヌ・ド・メディシスとの葛藤がいろいろあったとガイドさんが説明してくれました。彼女はこのお城が大変気に入り、庭園を造営したり橋をかけたのだそうです。1559年、41歳のアンリ2世はスコットランド人で彼の警護隊長であったモントゴメリー伯爵との槍の試合で倒され、非業の死を遂げました、この事件を5年前に指摘したノストラダムスの諸世紀第1巻35番の四行詩は有名ですね。これを機に王妃カトリーヌは、常々憎く思っていた愛妾ディアンヌを追い出して自らシュノンソー城に乗り込み城主となったのだそうです、メデタシ、メデタシ(何が?) |
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地面を見てください、酷い雨でした。 |
お城は川をまたいで建築されています。 |
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お城の全景です。 |
ぽーぷらーなぁみィきィの、ううすゥりィとォ〜 |
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